「障害」の受け取り方

こんにちは。「なったら」です(╹◡╹)

今回は障害を「否定」として受け取った場合の考えを書こうと思います。

*不快に感じる方もいるかもしれません。閲覧注意。

「障害者と一緒に体育館で運動をした。正直、運動より、障害者の口からヨダレが垂れており、乗っている車椅子がベドベドでそれに触りたくなくて、運動どころではなかった。こんな障害者との運動を強要するような事はやめて欲しい」

「障害者と一緒に芋掘りをした。服の袖に鼻水を拭いた後があり、その手で芋を貰ったが、帰りに捨てて帰った」

ネットで自由な発言ができる時代。知りたい情報をすぐに検索して、考える前に答えを得られる。それに加え、他の人の考え方を知る事が出来る。それと同時に知りたくもない、聞きたくもない情報もうっかりと入ってくる事がある。合理的だが、情報多寡でいらない情報に溺れてしまう可能性も高くなるし、無駄に傷つくこともある。

私はヨダレが手に付いていようが、芋に鼻水が付いていようが、洗えばいいのにグチグチ言うな、死ぬわけじゃあるまいし、と思うが、そんな人ばかりではない。それに綺麗事ではなく、ヨダレに触りたくないのは障害者のものであろうが、自分の子供であろうが、夫のであろうが一緒だ。

そこに「障害者」限定がつくのは疑問だが、それが「差別」だと思う。

色んな考え方の人間が居て

「障害者が健常者の払う税金で優遇されている」と思う人もいる。

「健常者の払う税金で障害者が助かっている」と思う人もいる。

思想や物事の受け取り方は自由だ。言葉にもしやすい時代になった。

ヨダレが手に付いても死にはしないが、言論の自由が認められていない時代であれば、下手な発言をしたら殺されていたかもしれない。

思った事を思ったまま発言する事は自由だが危険だと思う。

私のブログも不快に感じる人も居るだろうし、きれいごとと感じる人もいると思います。

誰かが「アンチ障害者」と戦うと泥試合になるから、疲れるだけだし、時間の無駄。

と言っていたのを思い出しました。

私は障害者の親として想いを書いているが、「障害」に付いては、親、ナース、障害者家族、またそれ以外の立場でも考えないといけないと思っている。自由だからこそ、検索すればすぐに他人の考えが知れるからこそ、色んな角度で一つの事を見つめて考えていきたい。

ここまでお読みいただきありがとうございました。不快にさせてしまった方がいましたら申し訳ありません。

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