急性壊死性脳症について⑶

こんにちは。「なったら」です(╹◡╹)

前回の↑急性壊死性脳症⑵の続きになります。

一旦、帰宅して、携帯だけすぐ取れるようにして布団に入った。

病院から電話がかかってきたのは夜中の2時だった。

先生「息子さんの呼吸状態が急変したため、挿管して人工呼吸器を装着しました。処置について説明をしたいのですぐ病院に来てください」

私たち家族はすぐ車に乗って、病院に向かった。

病院に向かっている最中、どうして、と、なんで、しか浮かばなかった。どうか無事でありますように、先生も「明日目を覚ますかもしれない」と言っていたのにどうして、と。

病院について説明を受けたのは、採血した結果と、頭部CTの結果だった。

採血はCRP(CRP:炎症反応の値)が急上昇しており、頭のCTでは視床の部分が真っ黒だった。

この時ほど自分が看護師であり、知識があることをマイナスに思った事はない。脳神経は再生しない。これは現代の医学で分かっている事だ。5ヶ月の子供の頭が病気によって壊死した。その事実は衝撃的だった。

「看護師」の自分が脳細胞が壊死した事実はもう変えられない、現代の医学では脳細胞を交換したり、再生する技術は確立されていない、と考え、

一方で「親」の自分はもしかしたら良くなるのでは、また笑って一緒に家で過ごせるのでは、と思っていた。

変わってやりたい。なんで、5ヶ月しか生きていない赤ちゃんがこんな目にあうのか。

病院で発症した、それはすごいタイミングだと、これ以上にないタイミングで治療が開始できたと先生たちは言ったが、私は親であり24時間一緒に居たのにもっと何かできなかったのか、と思った。

風邪を予防すればならなかったのか。何をすれば脳症を防げたのか。看護師なのに無力だった。看護師だなんてただの職業名で息子の異常に気付けても、こうなる事は防げなかった憤りはずっと自分の中にある。

その日、息子は生死の境を彷徨った。

人工呼吸器をつけて、心臓マッサージを何回も繰り返し、ショックを起こし、輸血を行なった。それでも急性脳症の勢いは強く、

先生に「ご家族、皆さん呼べる人は呼んでください。精一杯治療していますがどうなるかわかりません」

と言われた。まさか、自分の家族がしかも、自分の子供がこの言葉を言われるとは思いもよらなかった。

ナースとして働いていた時、何度も聞いたし、言ったこともある言葉。

まさか、この立場でこの言葉を言われる事は思いもよらなかった。

↘︎急性壊死性脳症について⑷↙︎続きます

急性壊死性脳症について⑵

こんにちは。「なったら」です(╹◡╹)

↑急性壊死性脳症について⑴↑前回の続きです。

息子は一旦退院して家で注入しながら通院していました。(注入:鼻に胃管カテーテルを入れて、点滴ボトルのようなものにミルクを入れて直接胃に入れる事)

で、なんとか体重は増えていましたが、5ヶ月になった頃には体重が伸び悩みました。そして、よく胃の中にミルクは残っていたし、吐くこともありました。

8月お盆に兄が風邪を引いて、息子も風邪になりました。

熱が出たので病院に連れて行きましたが、注入もなんとか出来て、病院に行った時には比較的、機嫌が良く、一旦家に帰りました。

次の日には熱も下がり、機嫌よく過ごしていました。

3日後に再び熱が出たため、熱下げの座薬を使いました。それ以降、熱は下がって、いつも通りになっていました。

しかし、次の日の夕方少しぐったりとして目もすわった様子になり、病院に連れて行きました。病院でまた頭部CT、採血、レントゲンを実施しルンバールも行いました。(ルンバール:腰椎穿刺→腰の骨と骨の間を注射針で指して流れている髄液をとり、検査に出すこと。髄膜炎や脳症を疑う時に実施したりします。同様に腰椎麻酔をかける時にもこの用語を使います)

先生に言われたのは「髄液の中のタンパク質が多い、以外は問題ないです」

そう言われたけれど、息子はやっぱりぐったりとしていました。顔も白く、酸素の値も下がっていたので、酸素マスクもつけました。息はしていました。

先生「今日は検査のために眠らせるお薬を使いましたが、明日の朝には問題なくスカッと起きてくれたらいいと思います。今の検査の所見では特に病気は見つかりません」

そう言われて、一応、念のためにPICU(小児集中治療室)に入ることになった。

私も一旦、帰宅していいということだったので、帰宅した。

まさか、一般病棟ではなくPICUに入院になったことに戸惑いと不安を感じたが、所見がないと言われた以上、家に帰った。

↘︎以下続きます。急性壊死性脳症⑶へ↙︎

急性壊死性脳症について⑴

こんにちは。「なったら」です(╹◡╹)

今回は息子の障害について書こうと思います。経過が長いので分けています。

妊娠中の経過は問題なく、出生後の先天性代謝異常の検査も問題はなかった。1ヶ月検診での体重の増加も特に指摘されず、順調に大きくなっていた。

息子が1ヶ月半程度すぎた時に保健師さんの「新生児訪問」が体重の増えの停滞を指摘してくれた。そこで、体重増加が緩慢になってきた事に気が付いた。

私は市で開催されている無料の助産師相談に通って指導を受けた。(自分が看護師であっても、小児科に勤務していても、育児は1人、1人違うし、自分以外の目で子供を見てもらう方が安心!と思って行ってました)

Aさん「体重の増えがイマイチだね。夜中も授乳回数増やしてみる?」

Bさん「体重の増えが成長曲線からはみ出したので、夜中2回起きて授乳してみる?」

母乳神話ではないけれど、母乳で育てた方がいいとされる中、母親の負担は大きい。上の助産師の指導を受ける前に、すでに日中12回の授乳をしていた。2時間毎の授乳。しかも、息子は飲むのに時間がかかり、1回に1時間はざらだった。つまり1時間毎の授乳。それを夜中も継続しろ、と?

ええ、母は頑張りましたよ。でも、体重が増えない。

体重が増えずに授乳回数を増やす指導はもう古い気がします。せっかくミルクがある時代に産まれたのに授乳回数を無理に増やして母の負担を増やす事はないと思う。母と赤ちゃんが相互に楽になるwin-winの育児をすべき。だって、核家族だもの。ばーちゃんいないし、ほぼワンオペでしょ、昼間。むり、むり、むり。使えるものは使いましょう。(これ子育て中の人にみんなに言いたい!)

問題は母乳量が直接足りてないのではないかと思い、ミルクも足してみようとしたが哺乳瓶を嫌がり、全く飲まない。口に入れすらしない。

もう、病院行こう。成長曲線から外れたし。

病院に行って、授乳の度に体重測定を行った。頭部のMRI、染色体検査、全身のCT、レントゲン、一般採血。全て実施した。

でも、飲めない原因は分からず、絶対的な哺乳量が足りない事は分かり、注入を導入して退院した。

↘︎急性壊死性脳症について⑵に続く↙︎